視察団に参加して 今本博健(京都大学名誉教授)

韓国4大河川事業視察記


今本博健



1 はじめに

 たまたま、ラムサールネットワーク日本が韓国4大河川事業日韓市民視察団の参加者を募集していることを知り、2010年2月26日から3月1日までの4日間、韓国を訪れた。金浦空港でスーツケースを置き忘れる大失態を演じたが、後の羽田便で到着されたラムネット日本事務局長で弁護士の浅野正富氏が見つけて届けてくれる幸運に恵まれ、事なきをえた。体力の衰えを考慮して、一部の視察をスキップしたが、4大河川事業の一端を垣間見ることができた。

 久しぶりの韓国で印象的だったのは若い女性が美しくなったことである。かつてはそれとなく判ったが、いまは言葉を聞かねばわからない。テレビは連日バンクーバーオリンピックでの金姸兒(キム・ヨナ)をはじめとする韓国選手の活躍ぶりを何度も繰り返し放映しており、国中が湧き立っていた。生活レベルの向上がスタイルだけでなく運動能力まで押し上げ、独特の闘争心が好結果をもたらしたのであろう。

 その韓国で4大河川事業という大規模総合開発が行われようとしている。李明博(イミョンバク)大統領がソウル市長時代に再生した清渓川(チョンゲチョン)に、拍手する一方で、胡散臭さを感じていたため、同氏が主導する4大河川事業がどんなものかに興味があった。



2 韓国の河川の概要

 韓国は山国であり、日本と同じく約2/3が山地である。韓国では乱伐と戦火、日本では人工林の放置、と原因は異なるが、豊かであった森林の多くが失われているのが共通している。

 韓国の5大河川といわれるのが、漢江(ハンガン)、洛東江(ナクトンガン)、錦江(クムガン)、蟾津江(ソムジンガン)、栄山江(ヨンサンガン)であるが、これら5川の流域面積を合わせると国土面積の約70%を占める。

 降水量は年間1274mmで、日本の1718mmに比べれば少ないものの、世界平均の973mmの1.3倍である。日本と同じように、年度別、季節別、地域別の変動が大きく、渇水年と豊水年では2.2倍の差がある。6~9月に年間の2/3が降り、内陸部と海岸部では1.5倍の差がある。このことから河川の流量の変動も大きく、最大流量と最小流量の比(河状係数)は200~400程度で、流出土砂も多い。こうしたことが河川整備を困難にしているのも共通している。

 韓国の国土面積は約9.9万km2と日本の約1/4であるが、山は比較的なだらかで、表1のように、漢江および洛東江の流域面積は日本最大の利根川より大きい。

 河川整備の対象は利水と治水が中心であるが、日本と異なるのは、利水がより重視されていることである。河川環境への関心も近年になって高まっており、生態復元機能を中心として親水機能と利水・治水機能を同時に充実させる整備への転換がはかられようとしている。



表1 5大河川(韓国)および利根川(日本)の流域面積および長さ

       漢 江/洛東江/錦 江/蟾津江/栄山江/ 利根川(日本)

流域面積(km2)26,270/23,384/9,859/4,896/2,800/16,840

長さ(km)    514  /525  /401   /212  /115   /322



3 韓国4大河川事業の概要

 4大河川事業は、図1に示す韓国の5大河川のうち、蟾津江を除く、漢江、洛東江、錦江、栄山江を対象とする整備事業である。

 事業の目的は、

 ①新規水資源の開発

 ②洪水調節

 ③水質改善・生態復元

 ④川中心の地域発展

 ⑤住民と共に複合空間づくり

とされている。

 また、主な事業内容として、

 ①河床掘削5.7億m3

 ②堰の新設16ケ所

 ③河口堰の改修2ヶ所

 ④新規ダムの建設2ヶ所

 ⑤既設ダムの連結1ヶ所

 ⑥洪水調節池2ヶ所

 ⑦遊水地(川辺貯留池)4ヶ所

 ⑧既存農業用貯水池の増高96ヶ所

 ⑨堤防補強620km

 ⑩自転車道路の設置1,728km

が挙げられ、総事業費は22.2兆ウォン(約2兆円)である。

 金額はさほどでないが、計画の規模と工期は大したものである。これだけの大規模の工事をわずか3年余りで完成させようというのである。これまでの「先工事後補償方式」が2000年代に入って「先補償後工事方式」に転換されたというが、いまもその名残があるのだろうか。

 因みに、治水および利水用の貯水容量は、河床掘削と堰で8憶m3、洪水調節池・遊水池で0.5憶m3、多目的ダムで2.5憶m3、既存農業用水の増高で2.5億m3の合計13.5億m3である。韓国での最大貯水量のダムは日本の資金協力で1973年に完成した北漢江の照陽江ダム(ソヤンガンダム)であり、その総貯水容量は29億m3というから、韓国人にとっては驚くほどでないかもしれない。しかし、日本のダムのすべてを合わせた総貯水量は200億m3余り、最大の徳山ダムでも総貯水量は6.6億m3であるから、4大河川事業は総貯水量では7%弱、徳山ダムの2個分である。日本から見れば驚異的な貯水量である。

 事業規模が巨大なだけに当然ながら環境への負荷も大きい。4大河川にはいずれにも広大な砂州や中州が形成されており、そこには貴重種をはじめとする豊かで多様な生態系が長年にわたって引き継がれてきている。4大河川事業はこうした環境を破壊してまで実行する価値がないとして多くの市民団体が反対しているという。韓国社会世論研究所の世論調査でも回答者の56.1%が「中断すべきだ」と答えているそうである。



 以下では、4大河川事業の名目上の主目的である①の新規水資源開発および②の洪水調節について、河川工学から見た問題点あるいは疑問点を日本の場合と比較しながら示すことにする。

4韓国4大河川事業の河川工学上の問題点

4-1 新規水資源開発についての問題点

 韓国では、周期的な渇水で地域的な水不足が深刻化し、2016年に10億m3の水不足になるとの予測のもとに、4大河川事業では、5.7憶m3の河床掘削と16ケ所の堰の新設による8億m3、2ヶ所のダム建設および安東ダム・臨河ダム連結による2.5億m3、96ヶ所の農業用貯水池の増高による2.5億m3の計13億m3の新規の水資源を開発しようとしている。

 この利水計画にはつぎの問題点がある。

問題点1:新規水資源開発の必要性について

 4大河川再生マスタープランによれば、1995年と2001年に渇水が発生し、多くの地域で給水制限がなされており、2016年には10億m3の水不足が予想されるという。しかし、韓国大運河反対運動教授会(POMAC)は、「長期水資源マスタープランでは、2011年の洛東江では1100万m3の水余りになる」として、水不足は虚構であると主張している。

 いずれが正しいかは判断できないが、かつての日本でも過大な水需要予測のもとに水資源開発が行われ、いまや各地で「水余り」となっている。韓国の水需要予測についても客観的なデータに基づいた精査が必要であるが、これだけ大量の新規水需要があるとは考えにくい。

問題点2:治水との競合について

 水資源開発計画のうち、ダムによる2.5憶m3と貯水池により2.5憶m3が新規利水として確実に利用できるだろう。しかし、河床掘削と堰により開発しようとする8億m3については、治水との競合性から、安定して利用できるかは疑問である。

 図2は、洛東江での堰の設置状況を示したものであるが、河口堰のほかに8基の堰を新設することにより、河口から安東ダムまでの334.8kmのうちダム直下の60kmほどを除いた270kmほどが9つの堰湖で満たされることになる。

 それぞれの堰で所定の貯水をしたまま洪水を流下させよることができるのであろうか。恐らく出水期には貯水位を下げておく必要があり、8億m3を安定して使えるとは考えにくい。

 さらに洪水時に堰を開けた場合、どのように貯水を回復させるかが問題である。洛東江では9基の堰を連動して操作する必要があるだけに、操作の困難さが予測される。





図2 洛東江における堰の設置計画と事業前後の水位比較

4-2 洪水調節についての問題点

 韓国では、02~06年の平均で年間2.7兆億ウォンの被害が発生しており、治水安全度を1/100年から1/200年以上に引き上げようとしている。このため、利水目的も兼ねた5.7憶m3の堆積土の浚渫および620kmにわたる堤防補強や洛東江および栄山江の河口堰の排水門についてそれぞれ475m→760m(六連水門増設)および240m→480m(八連水門増設)の増設のほか、2.5憶m3の多目的ダムの建設、2ヶ所の洪水調節池および4ヶ所の遊水池(川辺貯留池)による0.5憶m3の計3億m3の治水容量を確保しようとしている。

 この治水計画にはつぎの問題がある。

問題点1:利水との競合について

 洪水を安全に流下させるには、予め貯水位を下げておくか、事前放流により貯水位を下げる必要がある。逆に、利水面からいえば、貯水位をできるだけ高く保っておきたい。こうした相反する要求に対して、9基の堰を適切にコントロールできるだろうか。とくに想定を超える洪水への対処は困難を伴う。もし、適切にコントロールできなければ、水害を招く恐れある。

問題点2:堰の洪水流下に及ぼす影響について

 治水面からいえば、堰は洪水の流下を妨げる障害物以外の何ものでもない。堰の構造が不明であるが、図3のイボ堰完成予想図および図4のヨジュ堰完成予想図によれば、日本でもよく見られる堰板を上下に動かすスライド・ゲート方式が採用されているようであり、また図3によれば堰の敷高は下流側の河床より高いように見える。

 堰の敷高と現河床との関係が不明なため判断できないが、もし敷高が現河床より上部にあるならば、洪水の流下の障害になるのは避けられない。もちろん堰柱も障害になる。こうした障害物の存在のもとに、現在より低い水位で洪水を流下させようとすれば、堰の主要部が現河床より下部になるように河床を掘削する必要がある。そのような大規模の掘削を予定しているのだろうか。視察において見たかぎり、そうした掘削は行われていなかったようである。

 例えば、洛東江の場合、5.7億m3の堆積土を浚渫したとしても、図2に示されるように、最高水位(1/100年計画高水位)を0.4~3.0m低下させられるかは、はなはだ疑問である。さらに、洪水時に、流木などによってゲートが故障する可能性もある。9基の堰をすべて適切に操作する必要があるだけに、万一、いずれかの堰で支障が発生すれば、その影響は全域に拡大する恐れがあり、きわめて危険であるといえる。もし、利水にそれほどの必要性がないならば、治水への危険を冒してまで実施する価値があるとは思えない。



 もし仮に、対象洪水を1/100年から1/200年に引き上げても、最高水位を確実に低下させることができるのならば、漢江のバルダン地区における有機農業を禁止する理由はなくなるのではないか。有機農業による河川水の汚染を回避するためというのは理由として薄弱であり、どうも釈然としない。

 参考例であるが、堰やダムで流れがせき止めた場合、せき上げ背水だけでなく土砂堆積によっても水位が上昇させられ、治水上まマイナスであることを紹介する。

 川辺川ダム問題で揺れた球磨川では、図5に示すように球磨川には河口から19.90km地点に荒瀬ダム(堤高25.0m、総貯水量1013.7万m3)、28.86km地点に瀬戸石ダム(堤高26.5m、総貯水量993万m3)という二つの発電ダムが設置されている(写真1および2)。それぞれのダムのせき上げ背水により洪水位は上昇させられ、堆積した土砂によりさらに水位が押し上げられている。また荒瀬ダムの下流では洪水時の騒音に悩まされている。ダムの堆砂による水位上昇は天竜川の飯田市でも問題になっている。

 同様のことは多くの堰を設置する韓国の4大河川事業でも発生する可能性は十分にある。

問題点3:堤防補強について

 河川堤防は洪水による被害から住民を守る最後の防御線であり、破堤は壊滅的被害に直結するといえる。このため、堤防補強は河川管理者に課せられた最重要の課題である。

 図6はマスタープランに示された堤防補強の断面図である。堤防表法面は勾配1:3.0以上の緩やかな一枚法とし、表面は自然型植生としている。法尻には散策路を設け、水際は生物生息地および生態系保存のための緩衝植生帯としている。周辺の地盤高は平水位に比べてかなり高く、掘込河川に近い。天端には自転車道路と道路が走り、堤防の安全度はかなり高いと思われる。

 図7は類似例として日本の長良川河口堰より上流における堤防補強を示したもので、洪水位が周辺地盤高より高い天井河川のため、浸透を抑制するため元の高水敷上にブランケットと称する分厚い土盛を敷いている。韓国のマスタープランでは散策路が同様の役割をしている。

 いずれも堰の上流部にあるため、浸透への配慮がなされている。

 図8は韓国での既存の農業用貯水池の増高における補強を示したもので、堤防の嵩上げあるいは新設のいずれも表側に侵食防止工を施すとともに、堤防芯部には浸透性の低い粘土材を設置して堤防裏側への浸透を防ぎ、裏側の堤防材料には透水性の高いフィルター材を用いて堤体内の水を速やかに排出するようにしている。

 図9は、日本の淀川での侵食と浸透を対象とした堤防補強を示したものであるが、遮水シートにより河川水や雨水の浸透を抑制するとともに、裏法尻には堤体内の水を排出するよう法尻工として水抜きドレーンを設置している。

 両者を比較すると淀川での補強が雨水の浸透をも考慮して遮水シートを用いていることと水抜きドレーンを設置しているところが異なっている。調節池の堤防と河川の堤防という違いがあるものの、淀川のほうが配慮が行き届いているといえる。

 なお、視察時に目にした河川堤防は、余裕高と思われる部分を除いて、石詰めの蛇籠護岸工を施していたが、水抜きドレーンは確認できなかった。

 堤防補強の経費を比較すると、韓国4大河川事業の堤防補強での85箇所の377kmにわたる事業費は9,309億ウォンとされている。1m当り247万ウォン、日本円では23万円である。一方、図6に示した淀川での堤防補強は1m当り100~120万円であり、韓国の5倍となっている。もし同等の安全性が確保されるなら日本は韓国を見習わねばならない。

4-3 その他の問題点

問題点1:環境への影響

 日本では1997年の河川法の改正により「河川環境の整備と保全」が法目的に追加されたが、河川整備の実態は依然として治水と利水が中心であり、環境は配慮の対象でしかなく無視されることが多い。最近になって河川生態系にもようやく目が向けられるようになったが、それ以前の河川環境といえば水質と水量だけが関心の対象であった。

 韓国においてもほぼ同様であり、2006年に水環境管理基本計画が策定され、2007年に「生態河川づくり10年計画」が発足したが、4大河川事業での環境面での目標は、BOD3mg/lを目標とした水質改善であり、サイクリングロードを中心とした余暇利用にとどまっている。

 その一方で、極めて不十分な環境影響調査を行っただけで、絶滅危惧種を含む豊かな生態系に恵まれた砂州が水没あるいは撤去の憂き目に遭おうとしている。環境派の人たちが猛反対するのも当然で、日本の一昔前の情景を見ているような気がした。

問題点2:掘削土の処理

 5.7憶m3という大量の土砂の処理として農地の嵩上げへの利用が挙げられているが、農地として利用可能になるまでにどれだけの時間を要するか、土砂が汚染されていた場合の処理をどうするか。



5 おわりに

 これまで何度か韓国を訪れ、いくつかの大学で講義もしたが、河川をゆっくり見る機会がなかった。それだけに今回の視察は興味深かった。

 いまだに理解できないのが4大河川事業の必要性である。主目的の新規水資源の開発と洪水防御に疑義あるとすれば、緊急性はないはずである。事業のための事業という印象は払拭できない。

 韓国では、川と周辺農地の連続性が保たれ、土砂が美しい澪筋を形成している。それだけにさほど大きな意義があるとも思えない工事によってそれらが破壊されていくのは残念としかいいようがない。

 これからの水需要を考えると、韓国でもこれまでのように大きく増加するとは思えない。それなのに、なぜこれほどの大規模な水資源を開発しようとするのだろうか。堰という障害物を設置しながら、それが治水のために役立つというのは理解できない。水資源を開発せねばならないので、これだけの配慮をすれば治水にもいい影響を与えるというのであれば、まだ理解もできるのだが。

 数百年から数千年という長い年月をかけて形成された河川は、その流域の人たちにとって大きな財産である。それが失われることに対して、多くの人たちが、それこそ何の見返りもなく、真剣に努力している。そういう人たちに接することができたのは望外の喜びであった。

 恐らく道は遠いであろう。うまくいかないかもしれない。それでも、よりよい河川を次世代に引き継ぎぐのがわたしたち世代の役目なのだから、決して諦めてはならない、と思っている。

 最後に、韓国でお世話いただいた多くの皆さんにお礼を申し上げるとともに、日本側として努力いただいた田中博さん、暖かく仲間として遇してくださったラムネットネットワーク日本の皆さんに感謝したい。

(2010-3-13)

なお、図や写真はこのページでは省略させていただきました。後日、写真や図にリンクするように調整します。(ブログ管理人)